日蓮宗 本妙山 大長寺

 
 

当山は、寛永八年麻布永坂町に、「善行院日久上人」御開山のもと、真の法華経流布の為、建立され、四百年近い歴史を刻んでおります。


当時、江戸に「三長・三本」と申しまして、真の法華経を流布する為の寺が、三ケ寺建立されました。その内の一ケ寺である当山は、山号を「本妙山」、寺号を「大長寺」と号し、山号・寺号に「本」と「長」を入れてあることが、その表れであります。


本来、当山歴代の住職は、門外不出と言われ、止むを得ず外出する際は、お篭によって警護されながら外出したという程の、格式ある寺院であります。


また、「柴又の帝釈天」「目黒の不動尊」と並び、「眼病救護の神様」、また「学行の神様」として、「麻布の日朝様」と広く親しまれ、当時は、山門付近に「行学院日朝上人」の御命日である25日には、露店が出るなどの賑わいを見せた時代がありました。


先代の住職であり、現住職の師匠でもある「明興院日應上人」は、日本全国五千数百ケ寺ある日蓮宗寺院の五大本山のうちの一ケ寺「伊豆霊跡本山 海光山 佛現寺」住職(貫首)に命じられたことを機に、当山は、その末寺として、霊跡本山と深い縁で結ばれることになるのです。


平成七年には、仏教学者でおられた、井上清純先生の意志を継ぐべく、神戸道場に安置されておりました「御仏舎利」(お釈迦様の御遺骨)を奉納賜りました。世界各国の仏教寺院で、御仏舎利が安置されていることは稀であるにも関わらず、当山に、御法縁として授かることができましたことは、誠に貴重なことであり、また、当山が、真の法華経を受持するべくものがあることを実証するものであるのです。


当山のサイトを御覧頂き、釈尊の説かれた仏教の中心教義であります「法華経」との当山の深い法縁を御理解頂ければ幸いに存じます。

                               合掌

 
<大長寺 縁起 略説>